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地元を愛するということ・・・

昨晩は、商店会の定例会でした。
今年の活動の一つ、地元の古老(というには若いかもしれません大先輩)に地元を話していただくという企画の第二弾でした。

御年82歳今でも矍鑠としてお店に立たれていらっしゃいます。
お店は、「長谷川商店」という和装を愛する方には知らない人はいないのでは?と思う和装履物のお店です。
http://www.kimono-taizen.com/shop/hasegawa.htm

浅草は履物丼屋の集積地、地場産業であるわけですが、鼻緒をすげるとなると、今は本当に少なくなりました。
雷門地区には長谷川商店のみというところでしょうか。

海外モノに押されてはいるけれど「日本の伝統を守るという心意気で頑張っているんですよ」とニコニコしながら答えられていました。


明治11年版と言われていましたが、江戸時代の街並みがそのままの実測図と思います。
智恵子抄で有名な高村光太郎の父親、高村光雲も駒形住んで仏像を彫っていたわけで、きっとこのどこかにいたんだろうと想像しました。

長谷川氏

もう少し拡大するとこうなります。
駒形橋はもちろんありません。駒形の渡しがあるのみです。
会員からの質問で箸はいつか架かったのですか?
(答え)昭和二年です。関東大震災の復興事業で架かりました。

江戸時代の浅草地図

<町内をもう少し大きくするとこんな感じ>
古図の拡大版
青い範囲が当町会です。

並木クラブという会館がここにはあって、浪曲やら落語やら剣戟やらとたいそう賑わったといい、長谷川少年も顔で入らせてもらっていたという話し、その何軒先にはお稲荷さんがあり大層りっぱなお祭りも定期的に催行されていたということ。その隣はだれそれ、その隣は誰々と70年も80年も前のことを諳んじて、受講していた新会員さんは面食らったかもしれないと思いつつも話しの内容の濃さにこちらも面食らった次第です。

中でも先の大戦時は、昭和20年3月8日の大空襲が東京空襲の一般の認識ですが、それより以前、1月27日に雷門地区は爆撃をうけていました。長谷川宅も何軒隣りの誰それさんの家にも直撃弾を受け老夫婦が亡くなられたという話し、市電の停留場にちょうど止まっていた電車に乗っていた学校帰りの中学生が何十人も亡くなった話し、戦争前と戦後の街並みの違いなど貴重な話は体験者からしか伝わらない迫力がありましたし、綺麗になった町並みからは想像できない阿鼻叫喚の時代もあったのだと教えられました。


下の画像は昭和12年に制作された履物商組合の売り出しのチラシだそうです。
長谷川さんのお父さんが組合長として音頭をとった時のものだとか。

昭和12年の履物商のチラシ
履物商というと、花川戸あたりに集約されていますが、当時は雷門だけで一つの組合が作れるほど多くの商店があったということ。今の雷門とは想像だにできない、隔世の感がありました。



「貴重な資料は地元に」が実感させられた次第です。
ハードとしての資料はもちろんですが、生きた体験は本当に貴重なソフト。
伝えていかないといけないこととさらに認識を深められました。
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