あれから丸六年

あ!そうかぁ。
六年前の今日猫島入りしたんだ・・・。

震災の年に少し落ち着きは取り戻しはしたものの浅草は、商店主たちはなかなか戻らぬ観光客に青息吐息の頃だった。けれど、気持ちは日本人として動いていた気がする。

あれだけのどでかい猫を、10tトレーラーで石巻まで運び込むエネルギーがどこにあったのか・・・
猫島へのフェリーも苦心の末、船上鎮座させることができ、ひょうたん島ともねこ島とも呼ばれていた、石巻市田代島に無事届けることができた。

夜中についた石巻港にて一晩の車中泊後の早朝、周りを見渡して被害の大きさに声を失った。
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上陸できるか不安を抱えながらも石巻港を離れる。
船上から石巻港を望む


遠くから見るときれいな島のままなのに。港の施設が沈んで上陸できず。他の港に回る。
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猫上陸。
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大船渡小学校の校長先生に学校内を案内していただいた。
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御縁門、海を渡るその2
http://k138.blog27.fc2.com/blog-date-201111-6.html

御縁門、海を渡るその2
http://k138.blog27.fc2.com/blog-date-201111-4.html

猫島から大船渡へ
http://k138.blog27.fc2.com/blog-date-201111-3.html
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定例会は防犯の勉強会でした。

商店会を立ち上げてからずーっと春、秋の二回続けているのが警察と消防の勉強会です。
よく続いています。

「安心安全な商店会」とスローガンを上げ続けていますが、やはり身近な商店の仲間や浅草にいらっしゃったお客様にアクシデントが起こるのは、心底避けたいものです。

という訳で浅草警察署管内の現状や防止対策を話していただきました。

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浅草署管内の今年度犯罪件数は減少傾向にあるということでした。
反面、窃盗つまり自転車ドロボーは増えていること。鍵のかけ忘れ。

そしてあいも変わらず振り込め詐欺の横行・・・というのか巧妙な手口を取るようになってきたこと。

警察に相談してくださいと最後におっしゃられていた。
当商店会は、警察との連携はばっちりと自負しているけれど、油断はならないと兜の緒を締めさせてもらいました。

防犯ツールとしていただきました。
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さ、なんでしょうか?

ちょっと角度を変えます。ん?
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はい。おわかりですね。
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つーーーっと開いてみると。
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ということで、なかなかもって、うんのつきそうなトイレットペーパーでした。

今日はお掃除の日

お掃除を始めると人の出がよくなる。

不思議だなぁ・・・といつも思う。


商店会の仲間が、タバコやポイ捨てガムを一生懸命取ったりしていることは、無駄ではないということだよね。


雷門一之宮商店会街路灯フラッグ

浅草のへそのへそ

<浅草の最も大切にしたいと思うこと・・・>

秋のお彼岸を迎えお花を持つ人をとても目にするようになった。
如意輪観音

今日はお彼岸の中日。

以前から是非ともお墓参りに行きたいと思っていた場所があった。

浅草という土地は不思議なところで、街のイメージは活劇、映画、大正ロマン、昭和モダンに賑わいを見せた街という印象が強く、芸能に懐の深いイメージがある。
今年30数年を数えるサンバカーニバルがあるかと思えば、お祭りサンバのように祭り一色に血が踊る伝統さも持ち合わせている。

けれど、浅草寺を抜いてこの街を語ることはできない。


ただ、このお寺の由緒を意識する方がどれほどいらっしゃるのだろうか・・・とも思う。


「日本の古都」と言うとすぐイメージされるのが、京都、奈良の平安京、平城京だと思う。

浅草のあけぼのは推古天皇三六年(628年)と伝わる。

(鳴くよ鶯平安京)だから平安京で延暦十三年(794年)、平城京でも和銅三年(710年)。
都が始めて制定された藤原京ですら持統八年(694年)というから、それより66年も浅草のあけぼのは早いということで、大化の改新以前の事なのだから驚かされる。

史実としてはなかなかそこまでは遡れないようだが、徳川家康、いや太田道灌、いや江戸氏が屋敷を構える遥か昔から、浅草という土地は人の定住場所として栄えていたということが特筆すべきところなのだ。


前振りが長くなってしまったが、その功労者は一も二もなく、江戸浦(隅田川)から兄弟の漁師が掬い拾い上げられた観世音菩薩を私邸に祀りその人生を仏門に捧げた浅草の郷士?土師中知(はじのなかともorはじのまなかち)の功績抜きには考えられないことである。

知ってか知らずか、三社祭りで担ぎ回られる一之宮はその人本人のことなのだが・・・。

江戸開府に当たって家康から認められた土師氏への名跡が専堂坊という。
代々浅草寺を取り仕切ってきた。


その伝統が平成の世まで、名跡は引き継がれ引き継がれてきたのだから驚き以外何者でもない。

ただ、明治初頭の悪名高い神仏分離令(廃仏毀釈)の嵐はそうした伝統にも深い傷跡を残している。


それほど大切な専堂坊の名跡は、それ相応に墓所も管理されて当然と思っていたのだが、代々の墓石を祀っていた浅草の寺は神仏分離令ゆえに廃寺となり、流転の運命に晒されていたのである。


ぜひお参りしたいと思っていたことが昨日ようやく叶うことができた。


貴重な代々のお墓は、現在どこに祀られているかといえば、目黒の天台宗の寺院、永隆寺に預けられている。


お目当ては思った以上に広い墓所のずっと奥まった場所に祀られていた。


宝篋印塔あり、僧頭墓ありで見る人が見たら由緒をしらべたくなるだろうと思う。

土師氏代々墓




三社の紋である三つ編紋が異彩を放っているのだが。
不思議に思う人はいないのだろうか・・・

三つ編紋



ただ、これほど歴史的価値のある墓石群なのに寺門前によく見る由緒看板ひとつなかったのが僕には残念でならなかった。これって地元の教育〇員会の仕事じゃないのかなぁ・・・


浅草寺の一角にあってふさわしいように思うのは僕だけだろうか・・・

通りがまた華やかになりました。

通りのプランターが一部新しいものと入れ替わりました。

台東区の「花の心プロジェクト」の一貫として、当商店会が震災前から行ってきた「花いっぱい運動」に連結されたかたちです。


以前はきれいに通り会の会員が植えたばかりの綺麗な花の苗をプランターごと持っていってしまう下衆なのもいましたが、今度のプランターはとても重いので動かせません。(ΦωΦ)フフフ…

通りに置いてもらったら、途端に道行く人々が写真を撮りだしました。

美しいということは、それだけで罪というのはうぬぼれの言葉ですが、花の力、魅力ってすごいなぁと改めて思いました。

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ちなみに、花種は・・・・

背の高い花はご存知、コスモス。
手前の花高の低いピンク色のは初雪かずら。
黄色いマリーゴールドと赤い小さな花の群生はペンタス。

寄せ植えの上手さはやはりプロの手だけのことはありますね。。。

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