商店街のキャラクターを考えていたら
以前の記事を読み返していた。
この2014年の冬は本当に寒かった。
雪もよく降った。
雪もよく降った。
この年、この地の発展に寄与された土師氏を顕彰する意味から(その旧跡地にて商店街を運営させていただいている意味からも)おち後のためにも「※専堂坊屋敷の碑」を商店街として建立し顕彰させていただいた。
その建立記念式を行った。なんとその日も雪。
関係者を招いて式典を執り行った。狭いテントの中、小さなストーブはあったが何の役にも立たず、天然クーラーは冷風最強だった。
記事を目で追ってみた。
記念写真の中、つい数日前に鬼籍に入られた、当時町会長であり隣接する商店街の会長でもあった老舗のS氏と目が合った。
一通りの神事が終わり、発起人の挨拶として僕がここに至った経過を報告し若干の思いも述べさせてもらった。
この碑をどうして建てておきたいと思ったのか、その動機をつとつと話すと、彼は一々頷いてくれた。最後には涙目になってくるのであれ?と思ったのを強烈に覚えている。
氏の店の奥づきに大きな店名の揮毫が高々と掲げられている。戦後焼け野原になった寺を仏知と度胸で再興した浅草寺の名物?貫主によるものだ。普通なら「施無畏」だの「一隅を照らす」だとかの布教の文句以外は書きたがらないものだが。
以前にS氏に伺ったことがある。
「よくこんな高僧に店名なんて書いていただけましたね」と聞いた。
氏曰く「西海くん(氏はいつも僕をこう呼ぶ)それがね、みんな俺を何故か好いてくれるんだよ。だから先生お願いしますと懇願しなくても気軽に骨を折ってくれるんだ。」
骨を折るというものは痛いものだ。それをわけもなく気軽にか・・・
この碑の建立記念の式典で見せたS氏の純朴さに人は動かされてきたのだなとふと思いがよぎった。
感動させられる商店街ってなんだろう。。。氏の言動を今にして反芻している。
※専堂坊とは徳川家康によって名付けられた役職で浅草寺の一切を取り仕切る僧職。半僧半欲の立場で妻帯が認められた。その専堂坊が代々住居としていた屋敷があった。